綺麗に死ぬITエンジニア

「ゲームは時間の無駄だ」というやつは教育者として失格です

2018-05-16

先日、こんなツイートを目にしまして、思うところがありましたので、記事にします。

娘の宿題の問題で、ゲームをした時間を無駄に過ごしたっと書いてある事に、めっちゃ 悪意を感じた(><
コレは、ゲームを作ってる人への冒涜だと思う

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https://twitter.com/HiZiRi_DIESEL/status/996002341949091843

現代教育におけるゲームに対するネガティブキャンペーンは異常

私もこのツイートの娘さんと同じように、学生時代や、はたまた新卒社会人1年目の研修のときに、「ゲームをやったらバカになる」と教育され、「ゲーム脳」という言葉とともにゲームに対する強烈なネガティブキャンペーンをされて育ってきました。

それはもう、酷いもんです。

ゲームに親でも殺されたのか、とも思わせるような勢いで、自称意識の高い教員や親はゲームを全否定します。

正直言って、そんなことを子供に押し付けるのは、古い価値観の押し売りであり、つまりは余計なお世話であり、言わば悪い教育であり、単なる教育者のエゴです。

基本的に古い人間というのは、新しい文化を受け入れにくいものですから、新しい人間(子供)の皆さんには、この悪い影響を受けずにすくすくと育っていただきたいと、そう願っています。

知識をどう人生に活かすかはその人次第

話を戻します。

先に挙げたネガティブキャンペーンは、ツイートでも述べられているとおり、「ゲームは時間の無駄」との考えから来ているものと思います。

しかし、人生、どんな知識であっても活かすか殺すかは、その人次第です。

例えば私なんかは、学生時代に習った「古文」「漢文」「日本史」「世界史」あたりの知識は、これまでの人生で一度たりとも役に立ったことはありません。

私は根っからの理系なので、そもそも文系科目をそこまで熱心に勉強していない・知識不足というのもありますが、それら文系の知識が不足していて困った経験は一度もありません。

逆に、職業柄プログラミングをしますから、ゲームで得た経験や知識は、役に立つ機会が普通にあります。プログラミングをしない人でも、世の中色んなゲームがありますから、ゲームで何かしらの知識を得て、どこかでそれが役に立ったというのは珍しい話ではないと思います。

そして私が全く役に立たなかった日本史の知識も、人によってはそれを活かしている人もいるでしょう。学者でなくとも。

つまり、勉強だろうがゲームだろうがスポーツだろうが、役に立つこともあれば立たないこともあるのです。そして、得た知識が役に立つ人生にするかどうかは、その人次第なのです。

「ゲーム」は優秀なコンテンツ

そんな中でも、ゲームというのは、知識を得るという面においては、非常に優秀なコンテンツだと考えています。

勉強ではなかなか覚えられない日本史も、それを題材にしたゲームをやったらすんなり覚えられたり、本が苦手で小説なんかが読めない子供も、RPGだったら苦なく進められたりするわけです。

つまりはそれ自体が日本語やその他付随する知識を得られる、ある意味勉強になることもあるわけです。

また、それ以上重要なこととして、ゲームを通して自分が本当に好きなものを見つけるきっかけになったりもします。

昨今、将来の夢がない若者が多いと聞きます。大学生にもなってまだ何がしたいか決まらないとか。

そうならないためにも、多種多様な知識を一旦取り入れてみて、自分が好きなものを見つけるというのはとても大事なことだと思いますが、そのための手段の一つとしてゲームをやるというのは、非常に有効だと私は考えます。

もちろん、そればかりやっていればいいわけじゃない

勘違いして欲しくないのは、これは「とりあえずゲームだけをしとけばいい!」といっているわけではないです。

それは、他のものと同じで、スポーツばかりしていてもダメですし、本ばかり読んでいてもダメですし、勉強ばかりしていてもダメだと私は思います。

バランスよく色んなことを経験するのが大事だと思います。

その中で、ゲームというのは手軽に色んな擬似経験ができるツールとして、有用だということです。

教育者はゲームと向き合うべき

今現在、ゲーム業界は、かなり大きな市場です。スマホの登場により、より多くの人にとって身近な存在となっています。

子供がゲームに本当に夢中なら、やるべきことはそれを取り上げることではなく、将来ゲーム業界でやっていけるように、さらなる知識を与えてあげることだと思います。

ゲームプログラミングをするなら、数学の知識が必要です。ゲームの音楽を作りたいなら、音楽の知識が必要でしょう。キャラクターデザインがしたいなら、デザイナーとしてやっていくために芸術の勉強をすべきでしょう。

途中で挫折するようなら、向いていなかったということ。本当に好きなことをやって生きていける幸せな人生を送ってもらうために、できるだけ若いうちから好きなものと向き合う、これが非常に大事だということに気づいていない人間は、教育者として失格です。

瞑想の手段としての側面

大人になってからは、ゲームのような夢中になれるものには、瞑想のような効果があります。

何か一つのことに時間を忘れるほど夢中になることで、心をリセットして、リラックスしたりします。

きちんと瞑想することを意識している人は、それ専用の時間をとったりしますが、そうでない人にとっては、こういったゲームやスポーツをしている時間がそれに代わっていたりするのです。

つまり、大人になってからも、ゲームがいい気分転換になったりしますし、それが精神を安定させるのに一役買っている場合も珍しくないということです。

また、瞑想は時に、中毒症状を起こす場合があります。

子供の頃に、過度にゲームを禁止されて育つと、大人になってからゲーム中毒に陥る場合があります。

個人的には、これは「瞑想中毒」のような状態、ドーパミンが異常に分泌されてしまっている状態に陥っているのではと思います。

こうなってしまうリスクを考えると、過度にゲームを禁止するということの危険性も考えておく必要があるかもしれません。